ウェールズの歴史をわかりやすく紹介するよ!イギリスとの関係は?

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「ウェールズ(Wales)」という国を知っていますか?

「イギリス」の正式名「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(UK)」を構成する、イングランドスコットランド北アイルランド・ウェールズ

そうです。

ウェールズはUKの一国です。

 

スコットランドや北アイルランドのニュースはなにかと目にしますが、ウェールズの情報はあまり日本に発信されていません。

ウェールズときいて思い浮かべるのは、「ドラゴン・ウェールズ語・ラクビー」あたり。自然豊かで平和なイメージがありますが、実は血まみれの歴史と勇気と抵抗の物語でいろどられています。

今回は、イングランド、スコットランド両国と陸続きの「ウェールズ」の国について 歴史とともにイギリスとの関係を理解してみます!

 

ウェールズの地理的背景

ウェールズは、ロンドンから西へおよそ200kmに位置し、アイルランドと海を隔てた場所に位置しています。

土地の大部分は山地で、南北にウェールズの古名である「カンブリア山脈」が走っています。地質時代の古生代カンブリア紀の名前の由来にもなっています。

わたしが「ウェールズ」から連想すること。

=四国とおなじくらいの大きさの土地
=スノードンなど めっちゃ自然いっぱい!
=ドラゴンとウェールズ語文化の地域
=「天上の城ラピュタ」のロケ地

イギリス人からすると、自然を満喫しにホリデーで向かう場所でしょうか。

ラグビーやサッカーもイングランドとは別のチームを持っていて、特にラクビーが強いことで有名です。ラグビーのチーム名は、国旗と同じ「レッド・ドラゴン」!

そして、スコットランドやアイルランドの「ケルト文化」とも異なり、独自の伝承文化を育んでいる土地なのです。

ウェールズの歴史

 

古代

 

紀元前650年頃、ヨーロッパ大陸にからケルト人(Celts)がウェールズに入植してきます。

ケルト族は、ウェールズの地で農業や職人として暮らし、金山から採掘した金工芸も盛んでした。

ウェールズで採れる金は、「ウェルシュ・ゴールド(Welsh Gold)」と呼ばれ、現代では非常に価値が高く、ロイヤルファミリー(ウィリアム王子しかり、ハリー王子しかり)の結婚指輪に使われるゴールドとしても有名。

ウェールズもイングランドやスコットランドと同じく、1世紀から5世紀までローマ帝国の支配をうけます。

ローマが去ったあとのウェールズは、5世紀にはいると東からゲルマン系のアングロサクソン族が、海岸線にはバイキングが侵入してきます。

アーサー王伝説

イギリスに伝わるアーサー王伝説は、アングロ・サクソン族に抵抗したブリトン人の王の物語とされる。アーサーはバドニクスの丘で勝利をおさめ、サクソン人からの侵略を防いだという伝説。

◆アーサー王伝説を知るためのおすすめ映画。アーサー王を題材にした映画は多いんですが、私の中では駄作が多い。。その中でアーサー王の死までを描いた「エクスカリバー」はおすすめ。Bul-rayがまだでていないので、DVDです。

 

中世には数多くの小部族国家がつくられ、それぞれのリーダーが統治し、「ウェールズの王」という存在はいませんでした。

やがてグウィネズ王国、ポーイス王国デヒューバース王国などの地方王権が形成されます。

13世紀なかごろに、ウェールズの広いの領土を支配する最初の人物が現れます。

フロードリ大王(Rhodri Mawr/844-878)、またの名をRodre the Greatとよばれるグウィネッズ王がその人。

彼はウールズを統治し、アングロ・サクソン人の侵入、バイキングからの襲撃からウェールズを守りました。

ノルマン・コンクエスト

イングランドでは、1066年にノルマンディー公ウイリアム1世が誕生(ウィリアム征服王/在位: 1066 – 1087年)。

彼はウェールズへも侵攻します。

ウィリアム1世の侵攻により、南部ウェールズはノルマン人に支配されますが、山岳部の北部ウェールズは抵抗を続け、ウェールズは独立を維持しました。

 

ウェールズ公国の誕生

1258年、ウェールズの事実上の統治者グウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズ(Llywelyn ap Iorwerth、1194 -1240)がウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)を名乗り、ウェールズ公国が成立しました。

この人物が、最初の「プリンス・オブ・ウェールズ」となります。

この王は、1211年イングランド王ジョンが介入したウェールズの内戦に対し抵抗。イングランドの侵略を阻止するため戦い、ウェールズの独立を維持しました。

しかし、イングランドからの繰り返される圧力に加え、ウェールズ内部で起きる内戦が続き、ウェールズは弱体化。徐々にイングランドに権力を奪われていきます。

※しっかし、ウェールズ人の名前は発音が難しく聞き慣れないため、非常に覚えづらいです。ジョージとかトムじゃないんですよね。ウェリン・アプ・グリフィズって(汗)

 

【ルウェリン・アプ・グリフィズ↓】

Llywelyn the Last at Cardiff City Hall.jpg
By Henry Alfred Pegram投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Link

 

イングランドに支配される

1282年、ルウェリン・アプ・グリフィズがイングランド王エドワード1世に敗退します。

その結果、ウェールズはイングランドの支配下に置かれることになり、ここにウェールズ大公家は滅亡しました。(Conquest of Wales by Edward I)。

イングランド貴族は、ウェールズに城を建て植民地化し支配権を拡大。

 

1284年にウェールズ法が発令され英国とウェールズは統合しました。

ウェールズはイングランドの一地方となり、エドワード1世が息子のエドワード2世にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与え、ウェールズの君主としてウェールズを統治させます。

 

※これより以後、プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)の称号は、イングランドの王太子に対して授けられるようになりました。

現代ではチャールズ皇太子がプリンス・オブ・ウェールズですが、近い将来に彼が王になると、長男であるウィリアム王子が「プリンス・オブ・ウェールズ」を名乗ることになります。

 

ウェールズの中世の歴史をみると、イングランドによる征服と統治の時代ですが、それに抵抗する歴史でもあります。

ウェールズ人は、頑なにイングランドとの同化を拒みウェールズ人のアイデンティティを強めていきます。

イングランドの統治にたいし、1400年にはイングランド王ヘンリー4世の時代にオワイン・グリンドゥール(Owain Glyndwr)による反乱がおきます。

彼は「最後のウェールズ人のプリンス・オブ・ウェールズ」となったウェールズ人の統治者。グリンドゥールは長期にわたる反乱を煽動し続けましたが、最終的に蜂起は鎮圧され失敗に終わりました。
しかし、彼は最後までイングランド側に帰順せず、アーサー王とともに、ウェールズの英雄と讃えられています。

 

テューダー家

1455年、イングランドで王位継承をめぐってランカスター家とヨーク家が30年間にわたる内戦を起こします。

この内乱は「薔薇戦争」(1455年 – 1485年)と呼ばれ、1485年のボズワースの戦いで勝利したランカスター家の一族のテューダー家ヘンリーがヘンリー7世として即位します。

このヘンリー7世は、ウェールズ大公の傍系の出身であり、これによって、ウェールズ大公家の血統がイングランド王家(テューダー朝)へと繋がることになりました。

息子のヘンリー8世は、1536年ウェールズ併合令(The Act of Union)を発令し、ウェールズをイングランドの支配下に置きました。

 

【ヘンリー7世↓】

Henry Seven England.jpg
By 作者不明http://www.marileecody.com/henry7images.html, パブリック・ドメイン, Link

 

ウェールズ語の危機

このウェールズ併合令によって、ウェールズ語は禁止され、統治者階級の間の公用語は英語となります。

ウェールズ語の最大の危機!

しかし、英語が話せるのは支配者階級であり、下位のウェールズ人たちが話せるのはウェールズ語だけです。ウェールズに広くキリスト教をひろめようとしたエリザベス1世の時代に、宗教に関することのみウェールズ語の使用が許可され、ウェールズ国内の教会に、ウェールズ語による聖書が備えつけられました。

ウェールズ語訳の聖書はウェールズ人の愛国心を高め、現在まで残るウェールズ語を救うことになります。

ウェールズ語の例

●Good morning! → Bore da
●Goodbye → da bo ti

※ウェールズ語、ぜんぜん英語とは違いますね!

 

 

ウェールズのヒーロー!ロビン・フット

Twmsion (1530-1620年ごろ)
ロビン・フッドとして日本人にもなじみの深いこの人物、諸説ありますが、ウェールズの伝説上の英雄とも言われています。
汚職や横暴を繰り返す貴族や聖職者の富を奪い、貧しい人々を助ける義賊として伝えられています。

※こちらはウェールズではなくイギリス中部ノッティンガム城のロビン・フット像↓

ウェールズ ロビン・フッド ノッティンガム

グレートブリテン王国(UK)に統合される

 

1707年、スコットランドがイングランドと合同する連合条約が締結され、イングランド、ウェールズ、スコットランドの3国が統合した、グレートブリテン王国(またはグレートブリテン連合王国(UK)が生まれました。

 

18世紀になると、ウェールズに民族主義が拡大し、ウェールズの地方史やウェールズ中世文学の発掘や、英語への翻訳が試みられました。

 

産業革命(18世紀半ば~19世紀)

 

イングランドで産業革命が起きると、ウェールズでも急速な工業化をとげ、石炭、鉄鋼産業の急速な成長、それに伴い労働者を吸収しつづけて人口が急激に増加します。

ウェールズは炭鉱で栄え、ロンダ渓谷を中心とし、炭鉱員4万人、年産9百万トンの世界最大規模の炭鉱を要していました。

一方、炭鉱労働者の仕事は過酷で大きな危険を伴い、数千人が鉱業事故で亡くなったとされます。

1930年には、石炭から石油へのエネルギー革命のあおりでウェールズを経済不況の波が襲います。炭鉱では炭鉱夫労働組合による「炭鉱スト」も頻発。

サッチャー政権の「赤字の炭鉱閉鎖計画」により、多くの炭鉱は閉鎖、人口は減少し、失業者があふれ、この時期(1920ー1940年)に、仕事を見つけるために約50万人ものウェールズ人がウェールズから離れたといわれています。

■天空の城ラピュタウェールズの城や、炭鉱跡を映画のモデルにしたという「天空の城ラピュタ」。特にパズーの故郷の炭鉱の町の場面で 空から降ってきた少女(シータ)を受け止める場面は印象的。

このような歴史から、ウェールズは労働党の強い基盤をもつ地となり、多くの労働党議員をロンドン議会に送り込むことになります。

近年

近年、ウェールズは日本を含む海外からの産業の誘致に成功。

ウェールズの首都、カーディフを中心に日本からはニッサンやトヨタなどの製造業を中心に44社ほどが進出しています。

またスコットランドと同様、ウェールズ人の愛国心も自負心もますます高まっっているといいます。

 

まとめ

 

ウェールズの歴史をあらためてみてみると、ウェールズは、常に内戦侵略者への頑強な抵抗で地域一帯は闘いが繰り返されてることがわかりました。

不屈の精神と頑強なアイデンティティを持つ民族と言えそうです。

わたしの知るウェールズ人は少ないのですが、一人非常に印象にのこっている女性がいます。彼女は配偶者と不仲で長い間離婚にむけて話し合いを続けていました。一緒に行ったパブで「わたしは絶対にやりとげる、だってウェルッシュ(ウェールズ人)だから!」といっていってビールをあおっていたのを思い出します。

なるほど、絶対に屈しない民族、それがウェルッシュ
ウェールズ人であることに非常に誇りをもっています。

もうひとり、ウェールズで歯科医として働いていたイギリス人の知人がいましたが、彼は「ウェールズ人はイギリス人をよく思っていない。住み心地が悪いから、週末にはいつも一番近いイギリスの街へ行くんだ。」なんて言っていましたね。

ウェールズ人はイギリス人を嫌っているのか?

これについてはステレオタイプの意見もあるだろうし、南部と北部で大きな差があります。南部は人口密度が高く移民も多いし英語話者も多い。北部はウェールズ語が生きていて、異文化を強く感じる地域です。

わたしは、南部の首都「カーディフ」、北部の自然豊かな「スノードン」を訪れたことがあります。

北部のスノードンは、見たこともない絶景に度肝をぬかされ、近代化したカーディフより強くウェールズの文化を感じることができます。

なぜこれほど南部と北部で違うのでしょう?

ひとつは、中世のウィリアム1世の時代に遡るノルマン人の南部征服の歴史。

もうひとつは、産業革命時代、ウェールズ南部の炭鉱主たちの多くがイングランドからの移民だったことによります。加えて南部には他国(アイルランドなどから)の労働者の大量流入もあり、この時期に全体的なウェールズ語話者は人口の半分にまで低下してしまいました。

一方、南部ほど大きな変貌がなかった北部や西部では英語話者の流入が少なく、ウェールズ語のコミュニティーが守られました。

そのため、現在もウェールズ語を母国語とする人の多くがこの北部や西部地域の出身なのです。

ウェールズを強く感じたいのであれば、ぜひ北部・西部へ!

そこには、ウェールズ語で掲げられた看板や、ウェールズ人たち(明らかにイギリス人と異なります)、ドラゴンやケルト装飾で、完全にイングランドとは異なる光景を目にすることができます。

 

同じくUKのスコットランド・北アイルランドの歴史やイギリスとの関係についての関連記事はこちらです。

▶「イギリスとアイルランドの関係と北アイルランド問題

▶「スコットランドの歴史をわかりやすく紹介!イギリスとの確執ってある?

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。Byアルノ

 

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